幼い子どもの桜貝のようにツヤツヤとした爪、エアコンのない暑い部屋でオーケストラの練習をして出来るシャツの汗染み、日に透ける葉っぱの重なり合い、疎開する列車の鉄板の汚れ、戦争で薄汚れた人々の肌…。
映画『窓ぎわのトットちゃん』は小学生であるトットちゃんのセンスオブワンダーを通して見た戦前戦中の日本の姿を、繊細かつ丁寧なみずみずしいアニメーションで描いた作品だ。
主人公のトットちゃんは、落ち着きのないことを理由に退学になってしまった元気いっぱいのおしゃべりな小学生。転校先のトモエ学園は電車が教室の個性的な楽しい学校で、校長先生の小林先生はトットちゃんに「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と優しく言ってくれる。
トットちゃんはトモエ学園で、小児麻痺により体に不自由がある本を読むのが大好きな優しい泰明ちゃんと出会い、お友達になる。トモエ学園のみんなと楽しく元気に過ごしていたトットちゃんだが、次第に戦争がトットちゃんたちの暮らしに忍び寄ってくるのだった―。
かつてのトットちゃん、そして原作者でもある黒柳徹子は1984年から現在までユニセフ親善大使としての活動を続け、2000年には「ユニセフ子どものためのリーダシップ賞」の最初の受賞者としてユニセフからその功績を称えられている。
また本作の監督は、『ドラえもん』のTVシリーズや劇場版を手掛けてきた八鍬新之助。
そしてキャラクターデザイン・総作画監督の金子志津枝は、『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』のTVシリーズ作画、劇場版『ドラえもん』、劇場版『ポケットモンスター』のキャラクターデザインも務めている。
子ども向けアニメのスペシャリストたち、また子どもへの深い愛情を抱く人々が集結した制作陣だと言える。
八鍬監督のインタビューによると、子どもたちがどのような動きをするか観察し、細かなリアリティを追求したとのことだ。そのためにドキュメンタリー作家の羽仁進の作品をスタッフと共有し、参考にしたそう。 (https://webnewtype.com/report/staff/entry-27935.html)
特にそのこだわりが感じられたのは、監督も一番描きたかったと語る(映画パンフレット)トットちゃんと泰明ちゃんの「木登り」のシーン。
夏の葉の緑色の香り、足裏の土を踏む感触、転んで出来る擦り傷の痛み、木登りをするために使う体の動き、ギラギラと輝く太陽の眩しさ…。
その繊細で優しいながらもみずみずしく力強い描写が視聴者の五感と思い出を刺激し、それぞれの「子どもだったあの頃」に帰らせるような懐かしさと感動を与えるはずだ。
さらには徹底した時代考証により当時の人々の暮らしにもリアリティが与えられ、まるであの時代の日本で過ごしているような感覚を持つほどの深い没入感を生み出すことにも成功している。
そうした1つ1つの丁寧な描写の積み重ねにより、作品全体の説得力が生まれているのだ。
さらに制作陣の子どもたちへの愛情が明らかに目に見えるのが、子どもたちの想像のシーンのカラフルで豊かな描写だ。
トットちゃんが電車の教室で想像するクレヨンやクーピーのような原色の鮮やかで楽しい世界、泰明ちゃんがプールで感じた無限の浮遊感を表す水彩や色鉛筆のようなタッチ、トットちゃんが見た泰明ちゃんとの冒険の悪夢は貼り絵で作ったステンドグラスのよう…。
これらのクレヨン、パステル、色鉛筆、水彩絵の具、貼り絵、ちぎり絵などは、実際に幼稚園や小学校などで子供たちがお絵描きの時間に使う画材である。
これは「子どもの想像力の豊かさ」を効果的に表す手法であると同時に、映画を観る子供たちが楽しめるための制作陣の優しい配慮であると感じ、心が温まった。
エンドロールを見ると、電車シーン・水中シーン・悪夢シーンごとにそれぞれ異なるスタッフの名前が表記されており、その力の入りようがうかがえる。まさに制作陣の子どもたちへの大きな愛情の証だ。
そんなカラフルだった子供たちの世界から、段々と色が失われていく。戦争の本格化だ。
原作者の黒柳徹子監修によって描かれたトットちゃんの家族の生活は、ハイカラで色彩豊かな暮らしであった。ところが「欲しがりません、勝つまでは」に象徴されるような戦時下における清貧の美徳化や、実際の貧しさと食糧難などからトットちゃんたちの生活は色褪せていく。
トモエ学園の子どもたちの服装・お弁当からも色が奪われ、子供たちの描く絵も戦争一色になっていく。子どもたちの描いた戦争の絵を飾って眺める校長先生の悲しみは、いかほどだっただろうか。
泰明ちゃんは他校生に障害のある子は立派な兵隊になれないとからかわれ、お腹が空いてお弁当の歌を歌うトットちゃんと泰明ちゃんは、通りがかりのおじさんに卑しい歌を歌ってはいけないと叱られる。
これらの信じがたいような言葉は、現代でもSNSなどで目にする人も多いのではないだろうか。戦時下のような不寛容な現代社会の言説にはゾッとするものがある。ましてや教育勅語を現代の教育や政治に持ち込もうとする人間も居るらしく、その気が知れない。
色彩豊かだったトットちゃんの世界に戦争が浸食し色を奪い去っていく様子を、効果的かつ丁寧に描いた制作陣の手腕は見事。
特に終盤、トットちゃんが色褪せた悲しみと恐怖の世界を駆け抜ける名シーンは必見だ。是非とも実際に劇場で確認していただきたい。
ベテラン俳優役所広司の圧倒するような凄みがある演技の魅力がにじみ出る、空襲の炎の中で瞳に炎を宿した校長先生のワンシーンがある。
八鍬監督はインタビューで「どんな理由があっても、絶対に戦争しちゃいけない」「対象を斜めから捉えるのではなくて、本当に真正面から戦争に反対する映画があってもいいんじゃないか」と本作の真意について語っている。(https://webnewtype.com/report/staff/entry-27935.html)
空襲の炎の中で燃える校長先生の瞳に、制作陣の子供たちへの深い愛情と反戦への熱い想いが重なっているのだ。
例えばトットちゃんと交流していた駅員のおじさんと散る桜のシーン。このシーンの描写について監督は、観客が能動的に動いて完成する作品を目指したので言葉で説明しなくていいと判断したと言う。(https://webnewtype.com/report/staff/entry-27935.html)
あえて多くを言葉として語らず、自分たちの画力(えぢから)を信じて熱量と高い志を持ち丁寧に繊細な描写をした作画スタッフたち。
「先生のこどもへの愛情は空襲の炎よりも熱く燃えていました」制作陣の子供への愛情も、校長先生に負けないほどに熱く燃えている。
日本でも戦争体験者が少なくなっている今、実際に戦争体験者である黒柳徹子原作・監修によって本作が制作された意義は大きい。
かつて戦時下の日本では、プロパガンダ映画や戦争画、軍歌などによって戦意高揚に加担させられた芸術家たちがいた。本作でも音楽家の戦争加担について触れる場面がある。
映画『窓ぎわのトットちゃん』は真正面から反戦を示した作品であり、心ある制作陣が力を込めて届ける素晴らしいアニメーションだ。
今作のようにクリエイターが戦争にハッキリとNOを突き付けられる今のうちに、観客は耳を傾けてほしい。全ての大人たち、特にクリエイターは、権力によって時に容易く利用されてしまう立場であることを自覚するべきだ。そして1人1人が声を上げ行動することが出来なくなった時、それはおしまいの始まりなのだと思った方がいい。
本作で描かれるのは、子どもたちの未来のために二度と繰り返してはいけない日本の歴史でもある。本来守られるべき幸せな子ども時代が、大人によって奪われることなど絶対にあってはならない。
世界では今も多くの子どもたちが大人によって殺されている。被害者はいつも子供たちだ。それぞれの言葉と行動の力を信じて、できることから始めてみてはいかがだろうか。
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